東京世田谷区の駒沢オリンピック公園に近い住宅地の小高い丘にそびえる2連のRC造配水塔。周辺地域の急激な人口増に対応するため1921(大正10)年に東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)の町営水道施設として着工。原水は北多摩郡砧村(現世田谷区鎌田)から多摩川の表流水や周辺の地下水脈を流れる伏流水で、砧下浄水所でろ過・殺菌された水が送られてきた。当時の配水は自然流下が一般的で配水塔が高台に作られたのはこのためである。
総貯水能力5550m3は周辺住民約15万人に6時間にわたる給水能力を誇ったが、現在は東京都水道局の災害時応急給水槽となった。一線を退いた今も往時に名付けられた「丘上のクラウン」そのままに、閑静な住宅街のランドマークとなっている。